
※この文章は、特定の政党や立場を支持・批判することを目的としたものではありません。
日々の生活の中で感じていることを、個人的な視点から整理した私的な考察です。
東京の住宅街を歩くと、細長く上へ伸びる家が目に入る。
敷地は小さく、隣家と密接し、日差しは限られている。室内はどこか薄暗く、空間に余裕がない。
この家の形は、今の若者が置かれている状態を象徴しているように感じる。
どうにか手に入れた住まい。
どうにか成り立っている生活。
しかし横に広がる余地は少なく、上に積み重ねていくしかない。資格、副業、転職、投資。どれも間違いではないけれど、地盤が細いまま上へ伸びていく不安定さは拭えない。
常に隣を気にし、失敗が許されず、浅い息をしながら日々を刻む。
日光を求めてひょろひょろと徒長する植物のように、根を張る余裕がない感覚がある。
日の当たる広い土地で、時間をかけて生活の基盤を固めていけた時代は、すでに過去のものなのかもしれない。
では、今の状況に対する確かな防御策があるのだろうか。
正直なところ、安心できる答えは見当たらない。あるのは、「今できることを、今できる範囲でやっていく」ことだけのように思う。
徒長した枝は、それでも光を探して伸びる。
伸びる過程で光の存在に気づき、その光をどう得ればよいのかを考え始める。
その一つが、社会の仕組みや意思決定に目を向けることだ。
選挙に行くこと。制度や方針を知ろうとすること。比べて考えること。
それらは人生を劇的に変える魔法ではない。
けれど、光がまったく届かない暗闇と、わずかでも光が差す環境とでは、呼吸のしやすさが違う。
お金や投資について学ぶほど、個人の努力だけではどうにもならない領域があることにも気づく。税制や社会保障、教育や住宅といった制度は、静かに、しかし確実に生活のリスクを左右している。
社会の仕組みに関心を持つことは、思想の問題というより、生活を守るための姿勢に近いのかもしれない。
光を浴びて光合成が始まれば、その栄養はやがて、日が差さない根の部分にも届く。生活の基盤や心の安定は、そうやって少しずつ支えられていく。
これからの政治に求められるのは、批判し合うことだけではないように思う。
どこか一つの答えに集約することでもない。
政治は、広く光を届ける力と、それに人を振り向かせる力の両方を必要とする。
そして、その光は一つである必要はない。
異なる考え方や立場を認め合いながら、光を作り、それぞれの生活に届く形へと変えていく。
社会が多様である以上、答えもまた複数あってよいのだと思う。
暗い家の中でも、光の方向を示すことはできる。
その光が、生活の奥、根の部分にまで届くよう形を変え続けること。
それが、これからの社会の意思決定に求められている役割なのではないだろうか。

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